点字毎日 理療の世界 続・数字で見る三療のすがた①

点字毎日 理療の世界 続・数字で見る三療のすがた①

誇れる宝物に「じり貧感」

一枝のゆめ財団専務理事 藤井亮輔

日本にだけあって世界にないもの。「三療」の文化は紛れもなくその一つだろう。盲人の手を通じて受け継がれてきた鍼灸あん摩業のことだ。300余年にわたって地域住民の医療を担い、視覚障害者の自立を支えてきた。医療と福祉を筋交いにかけた職業文化は人類の歴史でも例がない。稀有にして価値のある日本の宝物だ。世界遺産に値するといっても過言ではないだろう。

1895年に出版され世界に流布した「THE ART OF MASSAGE」(J・H・ケロッグ著)を開くと、流して歩く盲人の写真と日本のあん摩事情が好意的に紹介されている。コーンフレークの生みの親でもある著者(医学博士)は「Anma」の多様な側面に価値を見いだしていたのだろう。時代が下って、アジアを中心とした海外の視覚障害当事者の間で、来日して三療の国家免許を取ることがステータスになった。国際視覚障害者援護協会の留学生だけでも80人は下らない。博士の眼力が伺える。ところが今、この三療の屋台骨が、時代の変化に翻弄されて音をたてて、きしみ始めている。とくに、あん摩業界の景色は一変し、この業に集中する視覚障害者の多くが未曽有の経営難に陥るようになった。戦後の混乱期を除けば百年余りの間で今ほど閉塞感に包まれた時代を確認できない。しかも、急速に深みを増す霧の中で、国家免許者の輪郭どころか視覚障害者の存在そのものが薄れ始めている。

前回の連載(2011年)で、斯界全体がこれほどの「じり貧感」に覆われた時代を私は知らない、と書いたが、状況は加速しつつ一段と悪化している。あん摩師等法19条(晴眼あん摩業者を制限する視覚障害者の保護条項)の撤廃を求める裁判が空気をより重くしているのかも知れない。

今に生きる私たちが何かをなさなければ、かけがえのない遺産が雲散霧消しかねない。妙薬は望むべくもないが、現実を直視する中でなすべき一端でも見えてくれれば幸いである。そんな思いで、手元のデータを基に三療の今を読み解いていきたい。

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